街を歩いていると、公共施設や病院の案内図を始め、エレベーター、電車の自動販売機、ATMなど生活をするうえで多くの点字を見ることがありますよね。
これらの点字は、目の不自由な人が通常の文字を読めなくても、指先で触ることで色々な情報を読み取れるように考案された文字なのです。
現在世界中で使われているこの点字は「6点式点字」と呼ばれており、フランス人のルイブライユが考案したものです。
なぜルイブライユが点字を作ったのか、そのきっかけと歴史についてご紹介します。
ルイブライユが点字を作った理由は?
(ルイブライユの子供の頃)
ルイブライユは、1809年のフランスのクーブレという村で、現在から200年以上も前に馬具職人の子供として生まれました。
①3歳のときに左目、5歳で右目を失明
・・・ルイブライユが3歳になったときに、父親の仕事の真似をして誤って錐(きり)で左目を刺してしまい失明し、5歳のときには右目の方も炎症により失明してしまったのです。
この時代は障害のある子供には教育は必要ないとされていましたが、ルイブライユの家族の考えは違いました。
家族の協力により、ルイブライユは知識や生活能力を身に付け、村の中でも聡明な子として育っていったのです。
②7歳で村の学校へ通学
・・・6歳のときに村に来た神父に聡明さを見出されたルイブライユは、7歳になると村の学校へ通うことができ、他の生徒と同じ教育を受け、なおかつ優秀な成績も収めたのでした。
(王立盲学校へ入学)
①10歳のとき入学
・・・そして、さらに進んだ教育を受けたいというルイブライユの希望と、希望を叶えさせたいという周囲の援助により10歳のとき王立盲学校へ奨学生として入学できたのです。
②ソノグラフィとの出会い
この頃の王立盲学校では、フランス軍人のシャルル・バルビエが考案した「ソノグラフイ」(暗号を元にアルファベットを12点(横2点×縦6点)の配列で表わし、夜間でも読める軍事用の夜間文字)と出会いました。
(12点式点字を6点式点字に改良)
しかし、この12点式の文字は種類が多すぎ、難解なこともあって盲人がコミュニケーションを取るには不十分なものでした。
そのため、ルイブライユは盲人にも使いやすく、数字や音楽を表現できる文字に改善しようと思ったのです。
その結果、出来上がったのが現在でも使われている「6点式点字」なのです。
ルイブライユが点字を作るきっかけは何?
(12点式点字には欠点があった)
ルイブライユはが新たに点字を作ろうと思ったきっかけは、それまで使われていた12点文字に改良すべき点があったからです。
①配置が複雑
・・・12点式は、アルファベット1文字を表すために12マスを使い、マスに点の配置をしますが、点の配置が複雑になり指で触れて判読するのは難しい。
②点の数が多くなる
・・・組み合わせを覚えるのが大変で、読みづらく、書くことも困難。
③句読、アクセント、数字、記号の設定が無い
・・・音楽などを表現できないので、目の不自由な人の就職分野に対しての設定が無い。
盲人であるルイブライユは、これらの12点文字の欠点を改善するため、新たな点字を考案する必要性を感じたのです。
ルイブライユ作成の6点式点字の歴史は?
(6点式点字が世界に広がるまで)
6点点字が世界中に広まった歴史を簡単にすると、次のようになります。
1819:王立盲学校に入学
1821:ソノグラフイが王立盲学校に導入される
1825:ソノグラフイを改良し、新たな点字を考案する・・・6点式点字の誕生です。
1829:6点式点字の解説書が出版
1837:さらに改良した6点点式点字を発表・・・6点式点字の完成です。
1840:王立盲学校で点字の使用統制・・・点字の使用に制限がかかりました。
1852:ルイブライユが43歳で肺結核により死去
1854:6点式点字がフランスで正式に採用
(1854年に正式に採用)
ルイブライユが考案した6点式点字によって、目の不自由な人の読み書きが便利になりましたが、点字の採用が目の不自由な人と健常者を区別するという主張があり、フランスで正式採用されるまで、誕生から29年もかかりました。
しかし、この6点式点字が目の不自由な人の読み書きに対して、最善の方法だということが理解され、その後世界に広がっていったのです。
日本では、1890年に教育者「石川倉次」が6点式点字の日本語版を考案し、現在も多くの場所で使用されています。
まとめ
ルイブライユが考案した6点式点字が、今や世界中で使用されているのです。
その6点式点字を基本にそれぞれの国で、使いやすいようにしているのは良いことだと思います。